「土の器」    05.07.10   春名康範牧師
           ローマ9:19〜28

 マンガ好きで勉強嫌いの私が、不思議な仕方で導かれて牧師となり、
今、学校の校長として働く場を与えられている。神さまは漫画家よりも
おもしろいオチを考えて実行される方。いつも神さまのオチを楽しみに
歩んでいただきたい。

 神さまは、小さく弱いイスラエルの民を選び、ご自分の計画のために
用いようとされる。神さまは、選び出したイスラエルを決して見捨てず、
チャンスを与え続けられる。神さまは、預言者ホセアに、ホセアを裏切った
妻を、ホセアが犠牲を払って助け、もう一度受け入れるように命じられた。
 それによってホセアは、裏切る人間をなお愛し抜く神さまの深い愛を身を
もって知った。愛されていることに気づいた時、やり直しの勇気や元気が
わいてくる。その勇気を与えてくれるのが聖書である。

 松本清張の『砂の器』という小説がある。「砂の器」は、作った瞬間から
崩れ始めていく悲しい人生を表す表題だろう。小説の主人公は、自分を
守ろうとして、結局は自分の人生という器を、自分自身で破壊していく。
 キリスト教作家の阪田寛夫の『土の器』という小説がある。その小説は、
人の人生は、老い、病気、痛み、いずれ死を迎えるしかない貧しい器に
すぎない。
 しかし、そこに神さまの心が込められているゆえに、貴いものとされて
いると訴える。自分の弱さを隠すことに一生懸命になってかえって滅んだ
「砂の器」のような人生に対して、「土の器」のような自分の弱さや脆
(もろ)さを
認めながら、そこにも神さまの不思議な導きがあり、神さまの愛が注がれて
いることを知り、感謝して、喜んで生きていく「土の器」としての人生がある。

 「強い鉄の器にならなければ!」と思い込みやすい。
 しかしその時には、神さまのことを見ないで自分だけでもがいている。
 弱い時、悲しい時に神さまに心が向く。その時に、恵みを注ぎ、愛し、
顧みてくださる神さまに出会う。
 黄金の器でなく土の器こそ、神さまの恵みを喜べる幸いがある。 

                             
   (文責:浅見覚)